というワケで、今頃最新刊である43巻の話ですが、
雑誌連載のエピソードと、これまでの単行本のエピソードが記憶の中で入り混じり、
あれ、とっくにバレてなかったっけ? とか、婚約者どこ行ったっけ?
などと、どのエピソードがイキで、どれがナシになったのか分からないまま混乱。
単行本を読み直せばいいだけなんですが、
無限に分岐していく多世界群(ガラスの仮面mv : multi verse)の中から、
単行本を足がかりに、それぞれの観測によって世界が収束する過程を楽しむのが、ガラスの仮面であると見つけたり。
よって、このカオスを楽しむことにしています。
それはさておき、ガラスの仮面43巻では、主人公の北島マヤさんが、登場人物の気持ちが分からないと悩みまくるのですが、その苦しみに共感&骨身にキまくった。
A.アコヤは自然を愛する少女
↓
でもどう演じたらいいのかしら?
↓
エウレカ!(閃いた時の擬態語)
↓
B.歩くとき、草花を踏まないんだわ!
A.っていうキャラ設定をもらって、それが画面でB.って見えるよ! ってのを考えるのがグレイトなライターのキモだと思うのですが、ハートにピッタリくるものはなかなか思いつかないよ。
ガラスの仮面mvは古き良きスタニスラフスキ・システムという演劇論で構築されているので、役の気持ちに入り込む(今、アコヤはどういう気持ちでいるんだ? を無限に内省したり)ことでB.をゲットするんだけど、これが可能なのは、
ガラスの仮面mvにおいて、脚本は完璧であるという前提があるから。
完璧でない脚本世界を生きる僕としては、B.が話の筋と矛盾していたりなんかして、そんな時はバランガバランガ涙も風になります。